スタバでMacという構図がカッコイイと言われ、それがいつしか「意識高い系」と揶揄されるようになっていましたが、今ではもう、”何も感じない”というのが個人的な感想です。
だから周りにカッコイイと思われれるだろうと【スタバでMac】を開くのはちょっと待ってほしい。
一方で、【スタバでMac】に過剰に反応して、「意識高い系」と揶揄するのもちょっと違う気がします。
なぜ「何も感じなくなったのか」、日本の働き方の変化などから考察しました。
【スタバでMac】意識高い系の憧れでなく一般的となった働き方
まず、日本でのノマドワーカー(フリーランス)人口を確認してみましょう。
もともと日本は、ひとつの会社で定年まで同じ会社で働き続けるという形が一般的でした。
しかし2005年にノマドワーカーという言葉が広がり始め、2015年にはノマドワーカー(フリーランス)人口は937万人だったのが、2021年には1577万人にまで増えているそうです。(引用:新・フリーランス実態調査2021‐2022年版 ランサーズ株式会社)
よって物珍しかった「ノマドワーカー(フリーランス)」は、今や働き方の多様化や環境整備、ITの発達などにより、一般化しつつあるということです。
だから会社のパソコンでしか仕事ができなかった時とは全く環境が変わっているため、スタバのみならず、カフェやファミレスなどでパソコンを開く姿はよく見るようになったのではないでしょうか?
それにコロナの副産物で「リモートワーク」が増えたのも少なからず影響しているでしょう。
ひと昔前では、スタバにMacというと「意識高い系~」と揶揄するような人もいましたし、はたまた、【スタバにMac】で仕事する俺、カッコイイと思っている人が多かったのも事実でしょう。
しかし今では、「意識高い系」でなくとも、アポの合間にスタバでMacを広げ仕事を確認したり、打ち合わせの前に資料のチェックをするためにパソコンを開いている人もたくさんいるのです。
意識高い系の行動★【スタバでMac】やめとけ
はい、というわけで、意識高い系の行動として取り上げられがちな【スタバでMac】という構図は一般化しつつあり、周囲の人に憧れでもカッコイイとも思われません。
残念!!!(笑)
私自身フリーランスですが、周囲にそんな人がいてもとくに何も感じません。
カフェなどでパソコンを開く人が増え、見慣れてしまったというのが答えでしょう。
それに私もカフェで仕事することもありますが、「周りによく見られたい」という気持ちはあまりなく、単純に、美味しいコーヒーが飲めたり気分転換できたりという意味合いが強いです。
それに今では、コンセント事情なども充実しており、よりパソコンやスマホを使いやすくなったというのも、環境変化としてあるでしょう。
よって結論としては見出しのとおり、
意識高い系の行動★【スタバでMac】やめとけ
この行動(構図)に時代としてはもうあまり意味はありません。
スタバでMac、カフェでパソコン、ひと昔前はそれが少数派でカッコイイ対象だったかもしれませんが、ITの発達や環境整備の劇的変化によって、どこでも働ける環境が整いつつあります。
この結果、ノマドワーカーやフリーランスが増加し、さらには会社勤めでも外出先でパソコンを使えるようになるなどして、この光景は「当たり前」になってしまったのです。
よって周りにカッコイイと思われたいがゆえに【スタバでMac】を広げているのなら、その行動は少し時代遅れです。
一般化しつつあるその構図には、「もう何も感じない」という人が大半なのではないでしょうか。
逆に言えば、スタバでMacを広げている人を指さして、「意識高い系~」と揶揄するのもちょっと遅れているような気がします。
スタバでMac、カフェでパソコン、どこでも働ける時代がもう訪れているのです。
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