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護良親王はイケメン!逃げ若・悲運の最後と首にまつわる逸話

逃げ上手の若君(護良親王)
逃げ若の護良親王はイケメン?

逃げ上手の若君・サブキャラクターとして登場する「護良親王(もりよししんのう)」

逃げ上手の若君での護良親王はかなりのイケメン!

さらに足利尊氏にも一目置かれる「天才」とも言われていました。

しかし最後は逃げ若でも史実でも、悲運としか思えない悲しい結末を迎えます。

護良親王の最期や首にまつわる逸話について解説していきますので、ぜひチェックしてみてください。

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逃げ上手の若君

逃げ上手の若君・護良親王はイケメンの天才美少年!

護良親王について解説していきます。

逃げ上手の若君ではかなりのイケメン(美少年)として描かれ、SNSでもかっこいいと話題です。

逃げ上手の若君・護良親王はどんな人物?

護良親王は後醍醐天皇(帝)の息子であり、いわゆる「皇子」です。

イケメンかどうかはさておき(笑)、史実でも後醍醐天皇の代理として戦の軍略を考えたり、本人も武芸に達者だったりと、カリスマ性をもつ天才と言われていました。

このことから、後醍醐天皇の跡継ぎ候補として考えられていたほどです。

そして鎌倉幕府打倒に一役買ったとして、征夷大将軍に命じられます。

しかし武士を好み足利尊氏を寵愛した父(後醍醐天皇)とはすれ違いが多く、やがて将軍を解任され、やがて政治的地位も失脚してしまいます。

逃げ上手の若君・護良親王VS足利尊氏

一方で、護良親王はいち早く足利尊氏を危険視しており、殺害を試みます。

しかし、足利尊氏には全く歯が立たず、見方も皆殺しにされてしまう始末…。

さらに騒ぎに駆け付けた民衆は護良親王には目もくれず、足利尊氏の心配ばかりしていて、圧倒的なカリスマ性を見せつけられた形になりました。

屈辱的な結末を迎え、護良親王はますます足利尊氏を危険人物として再認識したのでした。

逃げ上手の若君での描写でも、足利尊氏に武芸やカリスマで歯が立たなかったり、失脚後の獄中を見舞いにきた尊氏が見せた怪物の側面に恐怖を感じたりするなど、圧倒されるシーンが多い印象でした。

一方で尊氏からも「太陽は二ついらない」と表現されるほど危険視されていました。

さらに護良親王は、尊氏が帝を盾に天下を取ろうとしていることを見抜いており、最期には尊氏の中の怪物が尊氏自身を食い殺すであろうことを予言しています。

ちなみに逃げ上手の若君のアニメ声優は、鈴木崚汰さんです。

逃げ上手の若君・護良親王の最期

悲運の皇子と言われた護良親王の最期について解説していきます。

逃げ若・護良親王の最期➀中先代の乱を前に失脚し幽閉される

護良親王が足利尊氏を危険視するのと同じく、足利側もまた護良親王を危険視していました。

そして中先代の乱が始まる前、護良親王は謀反の罪を捏造されて失脚し、鎌倉に幽閉されてしまいます。

逃げ若・護良親王の最期②足利側の刺客に暗殺される

一方で、護良親王が幽閉される中、時行たちの北条勢力は鎌倉奪還のため、死闘の戦いを繰り広げます。

結果として関東庇番衆を始めとする足利直義などの足利勢力を打ち破る事に成功します。

しかし足利側は、この劣勢のなかで護良親王を開放してしまうと、強力な政敵になってしまうことを危惧し、尊氏に相談。

手紙の返事は「万事…よろしく頼んだぞ」

と記されており、その意図を汲んだ足利直義は、負け戦で鎌倉を脱する際に、護良親王に対して淵辺義博を始めとする刺客を派遣したのでした。

ちなみにこの時代での皇子暗殺は、ものすごく畏れ多い事件です。

さらに逃げ上手の若君の描写でも、足利直義は青ざめた顔で冷や汗をかいており、命じる際にかなりの葛藤があったと考えられます。

護良親王は暗殺にやってきた刺客たちに抵抗を見せるも、最期は後醍醐天皇と共に描いた政権奪還への思いを馳せながら殺されてしまいました。(1333年7月、享年28歳)

逃げ若・護良親王の最期③逃げ上手の若君では何巻何話?

逃げ上手の若君では11巻・96話で護良親王の最期が描かれています。

暗殺によって命を絶たれるシーンはグッときましたね…。

内容はほぼ史実通りとなっており、天才と言われた護良親王の最期は、まさに悲運で無念の死と言わざるを得ないでしょう。

護良親王の首にまつわる逸話・太平記と御首級

護良親王の殺害について「太平記」では以下のように記されているそうです。

淵辺義博は土牢の中で護良親王を組み伏せて、太刀で喉元を刺そうとすると、護良親王は首を縮めて剣先を咥え歯で噛み折りました。

格闘の末にようやく「首」を取った淵辺義博が「首」をもち外に出て月あかりで見ると、「首」は両眼を見開き、歯には刀の先をくわえたままの凄惨な形相であったそうです。

淵辺義博はあまりの恐ろしさに、首を竹藪に投げ捨てたそうな…。

恐ろしい…、護良親王の無念の死がひしひしと感じられますね。

一方で、雛鶴峠の石舩神社(山梨県都留市朝日馬場)に、護良親王の御首級が祀られているそうです。

※御首級(みしるし):討ち取った(討ち取られた)敵の首

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逃げ上手の若君

逃げ上手の若君・護良親王はイケメン!悲運の最期と首まとめ

逃げ上手の若君・護良親王についてのまとめです。

ポイント

逃げ上手の若君・護良親王は後醍醐天皇の息子でイケメン天才美少年

護良親王と足利尊氏はお互い危険視していた

  • 逃げ若・護良親王の最期➀中先代の乱を前に失脚し幽閉される
  • 逃げ若・護良親王の最期②足利側の刺客に暗殺される
  • 逃げ若・護良親王の最期③逃げ上手の若君では11巻96話

討ち首が凄惨な形相であり恐ろしかったという逸話あり(太平記)

雛鶴峠の石舩神社(山梨県都留市朝日馬場)に、護良親王の御首級が祀られている

興味が湧いた方はぜひ「逃げ上手の若君」漫画をチェックしてみてください。

ありがとうございました。

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